闘病生活……その(145)
さて、我が母校の音楽部の方も、N君の指揮の下頑張っていました。 練習していた曲は、 一般合唱団に影響されて、イギリスのマドリガル。 「秋の女」など大中恩の小品。 さらに、メインステージが、「大地賛頌」の入っている組曲「土の歌」でした。 もう一ステージあったはずですが、ちょっと覚えていません。 こっちの練習にも、毎日顔を出しました。 後ろで見て、アドバイスをしたりするんですが、やはり我慢できません。 自分も中に入って歌ってしまいます。 練習量は、はっきり言って現役の生徒より多かったと思います。 N君は、音楽大学なんか目指していない割りには、ピアノも弾け、指揮も上手かったです。 豚猫は、会津農林高校に勝てるように頑張れ、なんて無茶なハッパをかけましたが。 もちろん冷静なN君は、そんな馬鹿な煽りには乗りませんでした。 こっちの練習も、楽しかったです。 そんなこんなで、定演の季節が来ました。 豚猫はなんと、OBなのに、「土の歌」にあるテノールソロを任されてしまいました。 こうなったら、受験勉強どころではありません。 必死に練習しました。 なにしろ、そのソロ、上のAがあるんです。 しかも、そのAをフォルティッシモffで出さなければならないんですから。 これは、アマチュアにはかなりきついんですね。 ドキドキしながら、定演本番を迎えました。 ※ 初めて当ブログにいらっしゃった方は、まずあらすじをお読みください。 今日は、平成十三年のことを書いています。 ※ ええと、今まで印象的だったことを書いてきましたが。 実は、この頃の記憶は曖昧です。 まだ薬の影響が残っていたのと。 やはり、鬱病特有の記憶障害があったんだと思います。( ゚∀゚)アヒャ! ですから、横川弘明医師とのやり取りとか。 菰田哲医師とのやり取りとか。 そういう記憶に残ることは覚えていますが。 普段何をしていたか、なんてことは覚えていないんです。(^ω^;) 基本的に、ナース室の中にある個室は、鍵のかかる部屋だったんですね。 で、豚猫は、極度の対人恐怖症に陥っていました。 そのナース室の中にある個室には、なんか蚕の繭の中にいるような安心感がありました。 二重に、外界から遮断されて、守られているような気分になったんですね。(´・∀・`) 妻は、毎日見舞いに来てくれましたが。 子供たちは来ませんでした。 当たり前ですね。 自殺未遂をした親父の見舞いに、子供を連れてこれるはずがありません。 b ( ^_^)納得! ただ、妻が見舞いに来て、何をしていたかさえ覚えていません。 ですから、その個室から自由に外出できたのかも覚えていません。 ジュースぐらい買いに出たんでしょうか? それとも、完全に閉じこもったままだったんでしょうか。 全く記憶にありません。_ 凹○ _ ただ、「私の願い」を演奏するイメージ。 それを脳裏に浮かべながら、一分一分を、体を切り刻れるような苦痛に耐えながら生きていました。 何度も、どうして助かってしまったのかと自問しました。il||li _| ̄|● il||li そして、また鬱のどん底に落ち込んでしまう恐怖に怯えていました。 鬱のどん底に陥るといういうことは、今、現在の苦痛より恐ろしいことだったんです。 おまけに、徐々に気付いてきたことがあります。 体のあちこちが、麻痺しているんです。Σ( ̄Д ̄;) 多分、大量に摂取した薬が、排出されきらずに関節などに残っているんでしょう。 両手の指なんて、完全に麻痺していて、満足に握り拳さえ作れません。 両肩は麻痺した上に硬くなっていて、手が上に上がりません。 両足の股関節は、麻痺しているくせに痛いんです。 まともに動きません。(´・ω・`)ショボーン 実は、こうした麻痺は、今も続いています。 両手には、握力もなく、ペットボトルの蓋さえ開けられません。 ペットボトルは、いつも妻に開けてもらいます。 股関節が痛いので、あぐらもかけません。 食事の時も、足を伸ばしたままです。 まあ、自業自得なんですけどね。はっは。-t( ^o^)。o 0 この当時、菰田哲医師は精神療法をやっていました。 つまり、薬はなんにも出していないんですね。 すると睡眠薬も出てなかったことになります。 睡眠薬なしでちゃんと眠れていたのか。 その記憶もありません。 もしかすると、大量に飲んだ薬の成分が残っていて、その頃は眠れていたのかも知れません。 ?(°_。)?(。_°)?? 菰田哲医師の治療の方は、さっぱり進みませんでした。 甲状腺ホルモンを調べるために採血はしましたが。 結果が出るまでには、それなりに時間がかかるようでした。 血糖値なんかはすぐ出ますけどね。( ̄~ ̄)ξ 精神療法をやる。 なんて大口を叩いた割りには、菰田哲医師はすぐにへたれてしまいました。 キチンと問診をする能力がないんですね。 第一、ちゃんと人の目を見ることができません。m9(^Д^)プギャーーーッ 豚猫が診察室に行くと、挨拶もそこそこに、虚空を見つめながら、 「あー、うー」 と意味不明の唸り声を上げ始めます。 何か、意味のある問診の言葉なんて出てきません。ダメポ(:D)| ̄|_ そして、顔を机の上に突っ伏すようにして検査用紙をめくり始めます。 検査用紙って言ったって、結果が出てるのは血糖値ぐらいです。 何も見当すべき数値は出ていません。 でも、何かしていないと不安なんでしょうね。┐('~`;)┌ パラパラと、検査用紙をめくっています。 そして、治療なんて何もしないままに、十分ぐらい経つと、 「じゃあ、今日はこれで」 と言って、そそくさと診察室を出て行ってしまいます。 薬物療法はせずに、精神療法で治療する、と大言壮語したのは、何処に行ったんでしょう? (ノ∀`)ノ∀`)ノ∀`) ジェットストリームアチャー こんなことが、一週間続きました。 すると、菰田哲医師はいきなり、 「じゃあ、今までの個室は出てもらって、今度は二人部屋にいってもらいます」 と言い出したんです。┌|゜□゜;|┐! ええ!! Σ(゚Д゚;エーッ! それは困る。 豚猫は、自殺未遂後、極度にナーバスになっていました。 それは、酷い対人恐怖症にかかっていました。 安心できる相手は、妻とか、ナースとか、そういう人だけです。 二人部屋で、同室者がいるなんてとても耐えられません。 豚猫は、そのことを訴えました。 「今はまだ二人部屋なんて無理だ。 せめて、個室にして欲しいし、できれば今の部屋から出たくない」 そう言ったんです。(´ヘ`;) ところが、菰田哲医師の答えは、 「病院の規則で、あの部屋にいられるのは一週間と決まっていますから」 これ一点張りです。 豚猫は、二本松会上山病院に殺されかけた人間です。 その患者の要望は、片々たる規則より重いはずです。o(`ω´*)o ところが、菰田哲医師には、そういうことに思いを巡らせる能力がないんですね。 やはり、人間的に欠陥があるんでしょう。 受験勉強ができただけの、人格的に壊れた人間って、本当にいるんですね。 とにかく規則なんだから。 規則は変えられない。 ただ、壊れたテープレコーダーみたいに、これを繰り返すだけです。 まともに相手するのに、疲れてきました。(,,-д-)=3ハァ 結局、部屋を移ることになりました。 豚猫は、看護師さんに連れられて、緊張でガタガタ震えながら二人部屋の前に立ちました。 ランキング、あと一歩の位置にいます。ご用とお急ぎでない方はここのバナーを 一日一回ポチッとな、とクリックしていただけると嬉しいです。<(_ _)>ヒトツ ヨロシュウ ↓ EXCITE以外の方でコメントを残したい方はパスワード欄に適当なパスワードを入力してください。
by butanekosama
| 2006-07-17 14:59
| 闘病記
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