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一度死んじゃった
 闘病生活……その(135)

 下のゆきさんのコメントにもありますが、北朝鮮のミサイル、怖いですね。
 と同時に、北のミサイルとタイミングを合わせて、韓国の海洋調査船が竹島周辺の日本領海に不法侵入したのも気にかかります。
 昔は敵対していたとは言え、やはり北も南も同じ朝鮮民族なんですねえ。
 日本人なら、北朝鮮のミサイル問題で日本がピリピリしているときに、わざわざ領海侵犯して相手を刺激する、なんて考えませんものねえ。
 やっぱり、朝鮮民族の思考方法は、日本人とは異質なんでしょうね。

       ※

 さて、A先輩のアドバイスを受けたQ君の元、練習を続けた我が音楽部。
 いよいよ東北大会の日がやってきました。
 東北大会は、確か福島であったような気がします。
 前日に泊まった宿で、いきなり豚猫の学生服のズボンのお尻が破ける、なんてハプニングもありました。
 恥ずかしながら、当時仲の良かった女の子に縫ってもらいました。
 さて、いよいよコンクール本番です。
 これはもう、精一杯歌った、としか言えません。
 とにかく、歌い終わったら力尽きました。
 燃え尽くした、と言っていいと思います。
 もの凄い充実感でした。
 で、客席に行ったら、どっと疲れが出て眠ってしまいました。
 目が覚めると、客席がざわざわしていました。
 隣には、昨日ズボンを縫ってもらった女の子が座っていました。
「ええ、なに、今の山形西高校、聞かなかったな。馬鹿だのお」
 聞いてみると、山形西高校は「水のいのち」から「川」と「海よ」を歌ったんだそうです。
 それが、もう完璧な演奏だったっていうんですね。
 それを聴かなかったなんてもったいない。
 そういう話でした。
 この年、確か既に山形西高校は、「川」を自由曲に歌って、NHKのコンクールでは、初の全国優勝を果たしていたはずです。
 実際、後で発表された審査員の点数を見たら、百点を付けている審査員までいました。
 でも、豚猫は、身の程知らずなことに、山形西高校までライバル視していたんですね。
 で、そう聞いても「ふん」と思っていました。
 ところが、その次に出てきた高校の演奏で、豚猫の人生そのものが激変します。

       ※

 初めて当ブログにいらっしゃった方は、まずあらすじをお読みください。
 今日は、平成十三年のことを書いています。

       ※

 さて、妻の話によると、豚猫は二本松会上山病院に救急車で搬入されました。
 その時に、嫌な運命の出会いがありました
 その日の、二本松会上山病院の当直医が、なんと菰田哲医師だったのです。
 でも、既に薬を全部消化してしまった豚猫は、無能な菰田哲医師の手に余ったようです。
(ノ∀`)ノ∀`)ノ∀`) ジェットストリームアチャー

 処置のしようがないので、菰田哲医師は豚猫を市立病院に再送しました。
 市立病院に行ったときは、もう完全に薬は消化吸収されていました。
 これでは、胃洗浄も出来ません
 洗浄しようにも、洗浄すべき薬が、もう胃の中に残っていないんですから。( ̄□ ̄|||)

 残された方法はただ一つ。
 点滴で、ただひたすら水分を補給する。
 そして、血中の薬の濃度を下げる。
 さらに、薬の成分を尿として排出させる。(´Д` )
 この手だけです。

 そんな訳で、豚猫の体は点滴の針だらけになりました。
 ええと、ちょっとエッチな話ですが。(^^ゞ)ポリポリ
 おちんちんには、尿道に管を差し込まれました。
 これで、膀胱に尿を溜めないで、流しっぱなしにするんですね。

 こうやって、体中管だらけになりました。
 片方で、どんどん水分を補給する。
 もう一方で、どんどん尿を排出しする。
 その尿から、薬の成分をどんどん抜いていく。-t( ^o^)。o 0
 ざっとこんな治療が行われたようです。

 でも、思ったようには薬の成分の血中濃度が下がらなかったようです。
 なにしろ、半端じゃない量の薬を飲んでいますから
 一時は、透析しよう、とまで考えたそうです。
 ところが、何故かうまくいかなかったらしく、諦められたようです。(・O・)

 時間はどんどん経っていきます。
 なかなか、思うように血中濃度は下がりません。
 体の細胞の隅々まで、劇薬の成分が染みこんでいきます。
 豚猫の、身体機能は、どんどん下がっていきます。(,,・д・)

 その頃には、鶴岡から両親も駆け付けていたようです。
 とにかく体の隅々まで水分が行き渡るように、と。
 二人で代わる代わる豚猫の体をさすってくれたそうです。
 二人とも、病院に泊まり込んだようです。m(._.)mスイマセン

 妻は、もちろん子供の世話もあります。
 昼は病院に詰めていても、夜は家に帰らなくっちゃいけません。
 家と病院の間を往復しながら、看病していたようです。

 とうとう、担当してくれていたお医者さんが、
これは、もう最悪の場合を覚悟していただかなければなりません
 と言ったそうです。
 お袋が、相当ショックを受けたらしいです。ガ━━(;゚Д゚)━━ン!!

 妻が、
「大丈夫よ。この先生は、いつも厳しい言い方をなさる先生だから」
 とお袋を慰めたそうです。・ヾ(^。^*) マアマア
 妻は、この先生と面識があったんですね。

 そうしたら、先生は、
いえ、そんな考え方じゃあ困ります。本当に、本気で最悪の事態を覚悟してください。そうでないと困ります」
 とまで言ったそうです。
 相当に真剣な様子だったようです。(f ・`д・)f

 さすがに暢気な妻も、その一言に青くなったそうです。
 まあ、要するに、はっきり言ってしまうと、豚猫は、
 もう助からない、宣言
 をされてしまったんですね。f(^_-;)

 妻も両親も、相当ショックを受けたようですが。・・・・:(;゙゚'ω゚'):・・・・・
 それでも諦めなかったようです。
 まあ、そうは言っても、お医者さんも看護婦さんたちも諦めなかった。
 
 それで、豚猫は、三日三晩昏睡して、一時は絶望視されたものの、何とか生き返っちゃったんですね
 で、ようやく前の前のエントリの冒頭場面に至ると。
 まあ、そういう訳です。(´-ω-`)

 ですから、豚猫は、一時的には、半分死んだも同然だったんですね。
 豚猫の前の主治医は、W病院のO先生だったんですが。
 そのO先生は、豚猫には確実に臨死体験がある、と仰っていました。
 良くある、一度死んでから生き返る体験というやつですね。┌|゜□゜;|┐!

 典型的な臨死体験では、こんな風になります。
 とても暗いところを彷徨っている。
 すると、川やなんかの向こう岸に明るい草原が見える。
 そこで、母親などの懐かしい人が手招きをしている。
 そっちの明るい方に向かっていくと、もう死んだと思っていたのに生き返った、と周りの人に言われる。ヽ(゚∀゚)ノ オメデトウ

 豚猫の場合は、ここまで典型的な臨死体験じゃありませんが。
 暗い水の底にいる。
 そこから、頭の上の明るい点目指して上昇していく。
 そして、明るい点を破って生き返る。
 これは、確実に臨死体験だという話でした。( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー

 一度死んで、生き返っちゃったんですね。
 まあ、良かったと言うべきか。
 なんと言うべきか。

 でもねえ、本当にこの時生き返って良かったのかどうか。
 何とも言えない豚猫がいるんです

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by butanekosama | 2006-07-06 14:25 | 闘病記


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